A Sense of Distance


一人でいる時、風景を想い起こす。いや、そんなに主体的ではない。むしろ、むこうからやって来ると言ったほうが正確だろう。印象が強く懐かしい場所は言うまでもなく、今となれば何処とも判じ得ない無名の風景も同様に立ち現れる。ただ肝腎なことが茫洋としていたり、逆に取るに足らぬことを詳しく思い浮かべたり、果たして自分はそこにいたのかと疑うこともよくある。記憶は主体の思いに関わらず恣意的なのだ。その時々距離を隔てて確かに見た風景は、その後時を経て記憶の中で遠近を作り出す。眼に触れたものは当初から形象のエッジを捉えていた訳ではない。もともと記憶は脈絡を欠いて、いつも揺れ動き、思いもかけぬものを拾い出し又捨てていく。画面は私達を包囲し、支える世界をつくりだしていく。懐かしい写真、また何の記念にもならない写真をひろげて見ることもある。明らかな輪郭、容赦ない陰影、確かな配置。そのとうりだったのだろう。しかしそんな決然とした所に到底私達は生きてはいない。


写真の続きをペインティングで描きだす。それは写真に写された内容がペインティングによって変容され、記憶や存在の不確実さを知る作業に他ならない。そうしてつくり出された風景はとりもなおさず、私達が身を置く世界そのものなのである。