Screened Scenery


「見る」のではなく「見えている」、あるいは「見えていた」。日常の視覚世界では積極的になにかを「見る」ことよりも、ただ受動的に「見えている」ことがほとんどであり、記憶にとどめる予定のないものばかりであろう。それでも網膜は対象を認識するにせよ、しないにせよ、常に外界の光景を映しつづけ、自分に世界の姿を出現させつづける。
この映像作品は街中の建造物や自動車のボディーなどに映り込む風景を撮影したものである。物体の表面に静かに映りつづけるその状況は、網膜に映っているという受動的な視覚世界に近い。それはまたカメラの暗箱を覗いたときの視覚体験にも通じる。私は世界が映像として立ち現れる瞬間に対峙しているような感覚を覚えるのである。